• マラッカの歴史と観光のポイント

    マラッカ
    マラッカの歴史と観光のポイント

  • マラッカの歴史と観光のポイント

    マラッカがなぜこんなにも文化豊かな街になったのかは歴史を知れば明らかに。そのうえで街を歩けば、街歩きはより楽しいものになるでしょう。ここではマラッカの歴史とより楽しく観光するためのポイントをご紹介します。

マラッカの歴史

マレーシアの中でもひときわユニークな文化や歴史を持っているのがマラッカ。数々のヨーロッパ列強国に支配されながら、独自の文化を育み今日に至ります。マラッカ王国から始まったマラッカの歴史はマレーシアの歴史ともいえるので、「マラッカを知ることはマレーシアを知ること」ともいわれています。

1400年頃~マラッカ王国成立

1400年頃~マラッカ王国成立

1400年頃にスマトラの王子であるパラメスワラがマラッカに降り立ち、ここに王国を興したのが始まりです。マラッカは季節風(モンスーン)を利用した東西貿易の中継地として栄え、インドやアラブ、中国から人が行き交い、様々なモノが入ってきました。イスラム教が入ってきたのもこの頃です。

1511年~ポルトガル領マラッカ

1511年~ポルトガル領マラッカ

1511年に勢力を伸ばしていたポルトガルがマラッカの利点に目を付け、マラッカを征服します。ポルトガルはマラッカの街にサンチャゴ砦(要塞)、丘の上にキリスト教布教の拠点となるセントポール教会を建てます。日本でも有名なフランシスコ・ザビエルもマラッカの地を訪れ、そこから日本へ布教の旅へ出ました。

1624年~オランダ領マラッカ

1624年~オランダ領マラッカ

マラッカ海峡での東西貿易の覇権を得たポルトガルでしたが、その後マレー半島で採れる錫に注目したオランダの東インド会社によりマラッカはオランダの支配下となります。この時代にオランダ広場より西側のオールドタウンはオランダ人により形成され、現在も当時の状態のまま残されています。

1824年~イギリス時代 - 1957年独立~世界遺産登録へ

1824年~イギリス時代-1957年独立~世界遺産登録へ

その後英蘭条約でイギリスの植民地として割譲されます。マラッカに降り立ったイギリス人は街の美しさを見て、壊さず保存するよう命令を出したため、今日でもオランダ時代の美しい街並みを見ることができます。
ヨーロッパの国々に支配された影響と、東西貿易の中継点として類稀な文化が形成された事が評価され2008年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

観光のポイント

世界遺産の街には、観光スポットとしての情報以外にも様々なエピソードが残されていますし、建築やアート、文化に注目しながら街を歩くと、また違う側面が見えてきます。自分の好みのテーマに合わせて観光してみませんか。

【1】街の構造を知りながら街を歩く

オランダ人が作った街

オランダ人が作った街

約400年前にオランダ人が形成したオールドタウンの通りは、ヒーレン(Heeren:紳士)→ジョンカー(=ヨンカー Jonker:商業)→ハーモニーストリート(文化の融合と娯楽)→カンポンクリ(Kuli:労働者や職人)と身分によって住む場所が異なっており、ヒーレンは豪華で大きな家が 多いのに対し、カンポンクリは小さめの家が多いなど現在でもその名残を見る事ができます。

様々なショップハウス&タウンハウス

様々なショップハウス&タウンハウス

オールドタウンに立ち並ぶ家々は最も古いものは17世紀のもの。2階建ての家は「タウンハウス」と呼ばれ、1階部分が商店になっているものを「ショップハウス」と呼びます。オランダ様式は1階部分にも屋根があり2階部分が屋根より奥まった形。その後住居を買い取った中国人によって、1階の屋根を取り除き、部屋を前に出しているものもあります。ヒーレンストリートにはオランダ時代当時のものが残されている家もあるので、ゆっくり歩きながら違いを見比べるのも楽しみの1つです。

間口の幅とファイブ・フットウェイ

間口の幅とファイブ・フットウェイ

マラッカの家は間口の幅が狭く、奥に長いのが特徴です。これはオランダ時代に間口の幅で税の金額が決められていた為で、奥に長い家ができました。オランダ時代には家と家の間には壁が作られていましたが、イギリス時代に建てられた家には。雨に濡れずに歩くための「ファイブ・フットウェイ」と呼ばれるアーチ状の通路が作られました。

【2】エピソードを楽しむ

マラッカの木

マラッカの木

狩りをしにマラッカへ来たパラメスワラが木陰で休んでいると、彼の猟犬が豆鹿を追っていました。しかし豆鹿は勇敢にも犬を撃退し逃げていくのを目の当たりにしたパラメスワラはその豆鹿の勇気に驚きこの土地に王国を作ることを決めました。そのパラメスワラが休んだ木の名前が「マラッカ」でした。マラッカの木は今でもマラッカの街で見る事ができます。豆鹿はマラッカ州の動物になっています。

ヤジロウとの出会い

ヤジロウとの出会い

日本でキリスト教の布教活動をした宣教師フランシスコ・ザビエル。彼が日本へ渡るきっかけはマラッカで日本人のヤジロウとの出会いでした。ヤジロウは日本で罪を犯し、ポルトガル船に乗りマラッカへたどり着いたと言われています。マラッカでザビエルと出会いキリスト教の洗礼を受けました。このヤジロウとの出会いによりザビエルは日本へ渡ることを決めたと言われています。

元は灰色だったオランダ広場

元は灰色だったオランダ広場

サーモンピンクに彩られた建物が立ち並ぶオランダ広場ですが建設された当時建物はすべて灰色でした。オランダが去り、その後のイギリス植民地時代、労働者たちはビンロウを噛みながら作業をしたため、あちこちが赤く汚れしまい、その汚れを隠すためにサーモンピンク色に塗られたそうです。

3つの名前を持つストリート

3つの名前を持つストリート

ジョンカーストリートの隣にある通りは、ヒーレンストリート、億万長者通り、トゥン・タン・チェン・ロック通りと3つの名前があります。ヒーレンはオランダ時代の名で、オランダが去った後はビジネスで財をなし、この通りの屋敷を買い取った華人達にちなんで億万長者通りと呼ばれていました。その後この通りに住む華人の富豪でマレーシアの独立に尽力を尽くしたトゥン・タン・チェン・ロックの偉業を讃えて現在の正式名称は「トゥン・タン・チェン・ロック通り」となっています。

【3】アートやグルメを楽しむ

マラッカ川沿いのアート&ライトアップ

マラッカ川沿いのアート&ライトアップ

マラッカ川の両岸の建物には様々なアートが描かれており、川沿いの遊歩道を歩く人々を楽しませています。リバークルーズに乗れば、両岸のアートのほか川に架けられた様々なデザインの橋も楽しめます。夜はライトアップされ、幻想的です。ハーモニーストリートのすぐ隣にあるバックレーンもたくさんのアートが描かれているエリア。

ローカルグルメを楽しむ

ローカルグルメを楽しむ

名物料理以外にも食べるべきグルメが沢山あるマラッカ。マラッカ名物のニョニャラクサやチキンライスボールの他にも、サテーチュルップ、バナナリーフカレー、クリスタン料理など、食事目的での滞在も可能になる程種類が豊富。おしゃれなカフェも多く、グルメも楽しい街です。

※上記情報は2019年8月現在のものになります。